2009-03-02 おくりびと的な記憶

なんで死にまつわることって、タブー視されたり忌避されるのかなぁ、とぼんやり考えていました。

以前、うちのペットのイヌとか、リクガメ(?!)があちら側に行ったとき、きちんと火葬してもらいました。そう。カメもちゃんと火葬してくれました。焼きあがってから、骨あげしながら、甲羅と手足を全部、もとのカタチに近いように綺麗にきちんと並べて復元してもらったことは忘れられません。感動的でした。

火葬から納骨までの一連の流れを接遇してくれたスタッフの方々はどなたも、態度も言葉も進行も、すべてにさりげなく、でもとても的確にすみずみまで気を配ってくれました。その高いプロ意識と技術と心配りが、本当に心底ありがたかったことを思い出します。華々しく表に出るだけが立派な職業ではない、と思った。わが身を振り返っても、「仕事ってやっぱこうでなきゃなぁ」と、とにかく深く頭が下がる気分だったのです。

境界。

たぶんキー概念は「境界」なのだろうと思います。

私はたぶんふだんから「病気と健康の曖昧な境界」に触れていて、いつもそこに居て、あれこれ交通整理するのが仕事、です。で、死にまつわるお仕事の人はきっと、あっち側とこっち側の境界で、あれこれいろんなことをなさってるってことなんじゃないかと想像します。

大変だよね。やっぱり。ふつうのひとは嫌がる、ことなのかもしれない。

でもね、だいじなことだと思うのです。やっぱり。

以下はぜんぶ、死、とか亡くなった人の身体にまつわる話です。

私のナマな体験だけの話しかできないんで、

だからなんだよ? って思われるかも。

というわけで、そういう話が苦手な方はこの先、立ち入りご遠慮下さい。

どうぞよろしくおねがいします。

***

私が小学校高学年だったか、中学生になっていたか、記憶が定かでないのですが・・・祖父が亡くなったときのことです。

葬儀の最後のほうで、お棺に蓋をする前に、最後のお別れとしてお棺に花をたくさん入れるとき、叔母が私の腕をしっかりと握って、「ハナエちゃん、おじいちゃんにちゃんとお別れしてあげてね」と、私の手のひらを祖父の冷たいおでこにぴしゃぴしゃと、何度も何度も繰り返し繰り返し触らせたのでした。(祖父はもうだいぶ高齢だったので、つるつるに禿げてました☆触るとぺちゃぺちゃと音がしました。。。)

人間って死んだら冷たくなるんだ!

実感として、いまでも忘れられないのです。(まだコドモでしたから、当時は自覚無かったですけど、やっぱり私は触覚マニアですんで) 飼っていた鳥や金魚が死んだことはあったから、冷たく硬くなった身体を両手の中に収めながら、泣きながら穴を掘るようなことは何度もあったけれど、亡くなった人の身体に触るのは、それがはじめての体験でした。

冷たかった。硬かった。

衝撃的、だったのです。私にとってその出来事は。

そのあと、もうひとりの祖父が亡くなったときには、私は16歳。高校生でした。

家に帰って安置されている祖父の遺骸の布団にそっと手を入れて、祖父の手や、足をそっと触ってみました。氷のように冷たい。しばらくそのまま握っていると、私の体温が伝わって、だんだん温かくなってくるような気がする。だけど、私が手を離せばあっという間にまた冷たくなる。家族からそっと隠れるように、そんなことを何度も繰り返していました。そうやっているうちに、あぁ、亡くなっているんだ、という事実を少しずつ身体で理解していくプロセスがあったように思います。

近年では、亡くなった人の唇に、私の指で温めて柔らかくした口紅をつけてあげたこと、が忘れられない記憶です。唇は冷たくて硬くなっていた。とても美しい人だったから、口紅をつけたら、やっぱり美しい面影だった。だけどやっぱり、口紅は温かくてふっくらとした唇を飾るもの。冷たくて硬くなった唇に、口紅は悲しすぎる、と思いましたね。

きっと、いろんな感じ方があると思うのです。

でも、たぶん人間の形をした身体が冷たいという事態は、日常からすれば明らかに異常。

私はたまたま触覚を媒介していろんなことを感じ取るからよけいにそうなのでしょうけれど、私にとっての死のイメージはいつもあの静かな冷たさといっしょに現れてきます。

それだけではなく、命が尽きる瞬間の身体の変化、もあると思うのですけれど。

ちょっとそれは、いまここで、私の貧困なコトバではとても言い尽くせない。

いろんなこと。

目をそらさないで、しんどくても大事に抱えていくしかないのでしょうね。。。(2009年3月2日)

鍼灸・手技セラピーたまゆら

【2021年末に閉業】 2004年5月の開業より、たくさんのご愛顧ありがとうございました。これからもみなさまのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。