2008-09-01 慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)の話(2)

ひゃぁー・・・(゜o゜)

こんな偏狭の もとい、辺境のブログを訪ねてらっしゃる人が急激に多くなった。ある程度予想はしていたものの、私はとても驚いています。テレビの威力はすごいねぇ。。。

さて、先日の続き。CIDPの件。

これは略語であります。正確には以下のとおり。(要するに、直訳がニホンゴ病名になってるものと思われます)

Chronic Inflammatory Demyelinating Polyradiculoneuropathy

だけど、だいたいからして、「神経ってなに?」というのが、一般人のおおかたの反応だというのに、「脱髄性」ってなによ?って、ちょっと理解できないよね。私も当時はまったく理解不能でして、後年、鍼灸学校の生理学の時間に、「神経のしくみ」をさんざん講義されて、ようやく当時の自分の病態が理解できたというありさまでした。

しかしながら、いまさらながらにどんな病気なのか?ってことを、このたびネットであちこち見てみたのだけれど、16年前に私が聞いた説明とほぼ変わりなかったです。

ただ、ううぅぅぅ・・・ と言葉を失ったのは以下の一節。

===

■予後

慢性進行性や再発性の経過をとることが多く、筋萎縮や重度の身体障害に陥ることが多い。呼吸障害や褥瘡よりの感染により死亡する例も稀ではない。自然寛解もときに見られる。

難病情報センター 

慢性炎症性脱髄性多発根神経炎(まんせいえんしょうせいだつずいせいたはつこんしんけいえん) の項より引用

===

とにかく、治らない人の方が多いんだ、という事実がショックだった。

先日のドラマ、私は最後まで見てられなかったんだけど、モデルになってる男性も完治はしてないんだよね。(と、最後まで見た家族に聞いた) ちょっと検索をかければ、闘病中の方のお話もたくさん散見されることに言葉を失う。

私はCIDPの自然寛解、なのだ。これは、たぶんきっと、珍しいことなんだろう。私はたまたま治った。それは本当にありがたいことなのだけれど、ただでさえ発症数が少ない病気で、罹患したら治らない人がたくさんいる。それを知ったら、なんだかなかなか素直に喜ぶ気持ちにはなれなかったりするのだ。

あとからもう少し整理するけど、私はステロイド経口投与は受けたけど、血漿交換は拒否したクチだ。:::免疫グロブリン療法も、(9月4日訂正:グロブリン療法は勘違いでした。私自身はそんな話はぜんぜんされなかった。グロブリン療法のことは、後年お目にかかった同病らしい方にお話を伺ってはじめて知りました。)

すごーく状況が悪かったのに、新しい治療を拒否したなんて、たぶん多くの人にはまったく理解されないだろう。そんな中で、当然(だね)DR.との関係も気まずくなって、いろいろあったけど、結局のところ、「自然寛解・自然治癒」なんである。(あくまでも自分の考えで、自己責任でやったことです。CIDPに関してはもちろん、現在の仕事上でも、不特定多数の方々にそういうやりかたを推奨することは決してありません。その旨くれぐれもご了承くださいませ!)

そんなこと言うと、もしかして、えぇぇ?ホントにCIDPだったの?診断基準が甘かったんじゃないの?とか言われるのかもしれない。きっと。んー、、、詳しいことはわからない。だけど、散々繰り返した髄液検査と(あれが痛くてね。。。)と、筋電図(これも地道に痛くてね。。。)のデータを元についた病名なんだよね。いちおう。

私は、呼吸困難にはならなかった。だけど、平地を歩くことがもうやっとで、階段はおろか、家の中のちょっとした段差で転び(筋力低下してるから、転び方もハンパじゃない!)、怖くて、怖くて、家の中を這いずって移動していた。一度ベッドに横になると、自力で起き上がるのには5分以上かかった。お箸はおろか、スプーンも持てなくて、犬食い生活だった。トイレにも一人では行かれなかった。和式なんて絶対無理。洋式トイレに座ったまま、立ち上がれなくなって助けを求めたことの回数数知れず。。。

陰で親は泣いてたみたいですねー。おまけに「神経内科に入院した」という知らせは、伝言ゲームでどこからか「精神科に入院した」に変換されて、友達も大幅に減ったっけなぁ。

というわけで、まぁこれが21歳の生意気でケバかった怖いもの知らずのネェちゃんだった私が陥ったCIDP生活だったんですよ。ホントに。ひどいもんだ。

ということで、発症の経過をまず書いてみたいのですが、あぁぁ。。。PCのバッテリがもうない。

この項、続く。(2008年9月1日)

鍼灸・手技セラピーたまゆら

【2021年末に閉業】 2004年5月の開業より、たくさんのご愛顧ありがとうございました。これからもみなさまのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。