2011-01-17 きずもの/きづくもの
きょう1月17日は、阪神・淡路大震災から16年なんですね。
当時私は、航空会社の電話予約センターでバイトしていて、その日はちょうど朝8時半からの早出出勤でした。出勤時のエレベータの中では、「関西で凄い地震があったみたいだね!」「100人くらい亡くなってるって!」なんて同僚と話したのを覚えています。(まだ全然情報が入ってなかったのね)
朝の始業ミーティングでは、「きょうは西日本からの電話も全部東京センターに入ってきます!」とのことで、もうわんわんわんわん…あちらのこてこての言葉の方々からの電話が入ってきて、フロアがてんやわんやだったように記憶しています。
その後、京都に住んでた友達から電話がかかってきました。(当時はまだネットもメールもなかったっけね〜) ふだんはとてもクールでシニカルな人だったけれども、「神戸が壊れちゃったよ…」と泣いていた。とても強く印象に残っています。
「もし東京でこの規模の地震が起こったら?」と、繰り返すテレビを、なんだか気味が悪いな、と思いながら見ていました。
人間の力では、どうにもならないことがあるのだと。避けられないこと。あまりのスケールの大きさに、もうただただじっと頭を垂れるしかないようなこと。
どうして地震が起きたの? どうして? どうして? って、どんなに問うても、たぶん確実な答えは見つからないのでしょう。不慮の事故や、病気や、いろんな出来事もまた同じように。
こんな仕事をしているので、基本的にはネガティブな精神状態になってらっしゃる方にお目にかかる機会が多いです。「なぜ私がこんな病気になったの?」「なぜ私はこんなに不幸なの?」「この病気によって、私の人生に傷がついてしまった」などなど、みなさんおっしゃったりするんですけど…
「きずもの」なんて言葉、とっくに死語かと思ってましたよ。(完全主義者が圧倒的多数を占める突発性難聴とかめまい関連の人たちは、かなりの確率でそういうことをおっしゃるんですよねー)
まぁ、、、私も自分がCIDPだったときにはそう思ったことあるので、そういう気持ちは全く理解出来ない、というわけでもないんですが、でも、それを言っちゃあおしめえよぉ〜、と強く強く思うのです。
いつまでもそんなの言ってたら、病気や不幸のまさに思うツボですよ!普通に生きてれば、大なり小なり怪我とか病気くらいしますってば。転んだら、やっぱり痛かったり辛かったりもするかもしれないけど、目線が変わったからこそ見つけられるものや出来事が必ずあるはず。特に年を重ねてきたら、自分だけ無傷で苦労無しだけが最高!なーんてことだけのんきに言ってられないかもしれないじゃありませんか。転んでもタダでは起きない!くらいでいきたいものです。
そうそう。うちの治療院のお手洗いには、こんな言葉を飾ってあります。
誰しも人生の内で 一度や二度は ただじっと
横になっているしかない時があるものです。
後々必ずわかる事なのですが
それはそれで まちがいなく大切で
必要な「時」なのです。(2011年1月17日)
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