2008-09-04 慢性炎症性脱髄性多発神経炎の話(4)
さて、CIDPの件。あちこち見れば見るほど、ホントに私はCIDPだったんかいな?という疑問がわらわらと湧いてきたりします。だいたいからして、15年以上前のことですし。
いま苦しんでらっしゃる方からすれば、「あなたはホントにCIDPだったの?そうだったとしたら、どうやって治ったの?いまはどうなの?」という点はいちばん知りたいことではないかと思うのです。(ちなみに現在では、かなり疲れて切羽詰ってくると、最初に発病したときを思い出させるように、右腕が全体に痺れてきます。そんなことはめったにありませんが。いまでも、正座したりして、足が痺れるのが何よりも嫌いです。あのころを思い出すから)
私自身は、同病の人はおろか、病気自体の情報もまったく得られない状態で、医師も「予後の推定はつかない」というような話をするばかりで、本当に不安な日々だったことが思い出されます。そんな中で、作家の黒岩重吾氏が全身が麻痺して長期にわたって闘病生活をしていたけど治った、というエピソードを耳にして、(彼の場合は、小児麻痺?らしいですけどね。これは後年知りました) 「そうやって奇病から回復した人もいるんだから!」と、切なくも自分を励ましたものです。そんな情報無しの状態での闘病だったからこそなおさら私は、正しい情報の伝達や、力づけられるような情報の伝達って、大事じゃないかと思うのです。
実のところ、あれこれ思い出していたら、なんだかだんだん気が滅入ってきました。入院以降の記憶は、できれば自分自身でも思い出したくないような辛いこと、苦しいこと、孤独感、そんなものばかりに彩られています。まぁでもがんばって思い出して、向き合ってみることにしますね。
私は入院してすぐに、ステロイドの経口投与を受けました。(正確なミリ数がわからないのですが、間違いなく「プレドニン12錠」でした) 飲んで数時間したら、痺れと脱力がウソのように消えて、軽々とスクワットができるようになりました。「なーんだ、簡単だ。さすが西洋医学の威力。病気なんてちょろいちょろい!」と、思ったのです。そのときには。なんたるノー天気ぶり。甘かった。
夕食が終わり、面会時間が終わり、病棟がだんだん静かになってさびしくなってくるころ、また痺れと脱力は戻ってきました。うそでしょ。。。そして翌朝、恐れていたことは起こりました。やはりもとの木阿弥。というより、余計にひどくなったのではないかと思うくらいの感覚異常や脱力が広がっていました。ベッドから起き上がるのがようやく。朝食もやっとの思いで口に運びます。でも、ここは病院。少しくらいお行儀が悪くても誰にも文句は言われなくて安心でした。
食後、また大量のステロイドを服用して、回診などを済ませ、しばらくしてくると、うそのように元気になって、元気に動き回れるようになります。もしかして、これは、ステロイドのせいで、一時的に良くなったような状態になってるだけなんだ。。。そのとおり。That's all.
では続きはまたそのうち。
世の中には「なぜ私が?」「なぜ彼が?彼女が?」などとしか言いようのない大きな事故や、致命的かもしれない発病がたくさんあるだろう。幾度となく誰に宛てるでもなく、繰り返し繰り返し「なぜ?」と問うても、きっと納得のできる答えはなかなか見つからないのかもしれない。
「脳からの情報を末梢に伝達する神経の軸策が溶けて、」などと病理学的な状態を科学的に説明されたところで、「なぜ」それが起こったのかについての答えは得られない。医療というフィールドの中で、「なぜ?」と理由を問うても、それは大きくはみ出してしまう大きな問いだ。それは科学の領分ではない、と言われてしまうかもしれない。
でも、繰り返し繰り返し問い続ける中で、過ぎてゆく時間の中で熟成される中で、もしかしたら、問い続ける人の中には何らかの新しい動きが生まれたり、思いもよらない方向に人生が変わったり、大きな意味を形作ったり、そんなことがあるかもしれない。
明確な答えのない「なぜ?」に対する答え、そうしたものを「物語」とか、「意味」とか呼ぶとすれば、それが誰かを、これから先もたくましく生かしていく大きな力になるかもしれない、と思う。目の前の出来事に振り回されるのではなく、その流れを読んだり、意味づけを行ったりすることは、それが正しいとか正しくないというよりも、生きていくうえで何らかの力になるのではないか、と思う。
なぜ、そんなことを長々と考えたのかといえば、私自身が自分が体験した病を振り返ったときに、たぶん私自身にとっていちばん重要なことは、正確な病名や服用した薬の量や治療方法よりも、自分の体験がいまの自分にとってどのような影響を与えていて、どのような意味を持っているか?ということだからだ。客観的、科学的態度ではないとういことは重々承知なのだけれど、これは研究ではない。ましてや、私は臨床研究の材料ではない。それは私がいちばん嫌って、いちばん強く抵抗したこと。
それよりも、いま大切なのは、自分自身が見た世界はこうだった。私はこう感じた。こう考えた。そしていまこうしている、そういうことを確認するためにこうやって書いている。
そういうことです。(2008年9月4日)
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